海の地政学 海軍提督が語る歴史と戦略
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発行年月 : 2017年9月(翻訳) 2018年11月(文庫版)
出版社 : 早川書房
地政学というタイトルの邦訳ではあるが、原題はSea Powerということで、地政学そのものというよりは海洋覇権国家アメリカからみた海の勢力分布と歴史みたいな話を、著者の思い出とあわせたエッセイみたいな本で、専門的な内容を期待して読むと肩透かしを食らいそうだけど、無知な自分にとってはちょうどいい内容だった。
しかし、世界の秩序のためのという名目でこんな世界中に海軍基地作るなら、なんでもいいから筆者も主張しているように、とりあえずアメリカは国連海洋法条約に署名しろよと思ってしまう。
戦略云々という話よりも、アメリカ海軍の軍人である著者が自身の経験と世界の海における歴史的な教訓を照らし合わせているような部分が読んでいて面白かった。
ジブラルタル海峡を渡るとき、海軍の軍人は、古代の戦場にやって来たかのように感じる。四方を取り囲まれ、取り残されたような感覚は、船乗りによってうれしいものではない。航海に出るときには、「順風満帆でありますように (fair winds and following seas)」と願う。「邪魔されることなく、道中が無事でありますように (Godspeed and open water)」と言うときもある。地中海では、歴史に取り囲まれ、どうも過去に包まれているようでもあり、「邪魔されることなく」進んでいるとは感じられず、あまりいい気持ちはしない。 (p151)
結局のところ、勝敗のカギは「自由」にあった。ギリシャ人の兵士はみな自由人であり、家族や都市国家のために戦った。対するペルシャ兵は徴集兵か奴隷だった。決戦前夜、テミストクレスは部下を集めた。ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、両親のため、妻のため、我が子のため、生まれ育った都市のため、そしてなによりも自由のために漕げ、と説いたという。部下たちはその言葉を守った。彼らの武勇と意欲は、ペルシャ船よりも軽くて速く、無駄のないガレー船という卓越した技術と相まって勝利をもたらした。
私はこの話を、さまざまな聴衆に向けて語ったことがある。聞いている誰もが、志願兵で構成される現代の軍隊が持つ力を確信する。 (p158)
余談になるが、私は、以前からオフィスに爆発する前のメイン号を描いた絵を掲げている。その絵は現在、私は学長を務めるフレッチャー・スクールの学長室にある。 (...) なぜ沈んだ軍艦の絵をかけ続けているのか、とよく聞かれる。航空母艦エンタープライズや駆逐艦バリーなど、私が指揮した英雄と称えられる軍艦の絵を、なぜかけないのか、と。
理由は二つある。ひとつは、船というものは乗っているときにいつ爆発してもおかしくない。メイン号はそのことを思い出させてくれるからだ。(...) もうひとつ、漠然としているが、私にとっては大事な理由がある。メイン号が沈んでからおよそ50年後、海軍は艦体を引き上げた。しかしどこを探しても、スペイン人によって艦が爆破された形跡はみつからなかった。爆発はおそらくはボイラーか、武器庫で起きたのだろう。スペインに対する宣戦布告は、間違った証拠に基づくものだったと言える。私が沈没前のメイン号の絵を常にオフィスの掲げている理由の二つ目は、一時の激情に流されて結論に飛びつくな、という自分自身に対する戒めのためだ。立ち止まり、目の前にある事象を検討し、疑問を投げかけるように、とこの絵は警告してくれる。 (p196~197)
第三に、国際法は、基本的には南シナ海での中国の姿勢を認めていない。アメリカは、国連やG7、東南アジア諸国連合(ASEAN)など国際的なフォーラムにおいてこれを強く主張すべきだ。南シナ海に関する国際帆の判断はきわめて明快だ。どの国も、他国が公海とみなしている領域を奪えないし、「歴史的権利」を主張することもできない。アメリカは世界的海洋勢力として、反論する機会を逃すべきではない。最近の中国に対する国際司法の否定的な判断は、この戦略的なアプローチ強化するものだ。率直に言えば、アメリカは、こういった対話において優位な立場に立つためにも、「国連海洋法条約」に署名すべきである。 (p214)
漁業は一大産業であり、その世界貿易を規制するための真摯な取り組みも行われている。「国連海洋法条約」は基本的には世界各国で批准されているため、批准国は200海里までの排他的経済水域において責任を積極的に担い、漁業資源を管理する権利を行使する。排他的経済水域を越えた海域での漁業については、国際協定によって規制される。協定の数は合計すると70を越えるそうだ。対象は主に魚だが、カメやアザラシ、ホッキョクグマ、イルカなどを対象としたものもある。ほとんどの協定には事務局が設置されているものの、小規模な運営機関にすぎず、協定を強制する実質的手段を持たない。そのために「無法者の海」という問題が生じる。前向きな取り組みにもかかわらず、魚種資源の約90パーセントが、「利用可能資源のほぼすべてを漁獲した状態、乱獲状態、資源減少状態、資源回復状態」のいずれかだというのが識者の意見だ。最盛期に比べると漁獲量が50パーセント低下したマグロのように、多くの魚種の漁獲量は急速に減少している。「海は(陸にある)森林の2倍の速度で消えている」という一節には、なんとも背筋が寒くなる。 (p315~316)
衝撃的な話だが、水揚げされる魚4匹に1匹(世界の漁獲高の25パーセント)は、漁獲対象の種とは別の種を意図せず捕獲してしまう「混獲」に分類される。漁船が巨大な産業用の底引き網、特に海底を引きずる網を使う場合には、巻き添え被害は著しい。国際社会もこの問題にはお手上げだ。私は、エビ漁船が大きな網で、数えきれないほどのウミガメや魚、海洋哺乳類までもさらっていく様子をメキシコ湾で見たことがある。この種の「混獲」の環境破壊力を理解すれば、艦橋から傍観してはいられない。さらに最近では、繊細なサンゴ礁にまで危険を及ぼす爆薬やシアン化物など、きわめて破壊的な漁法を用いる傾向が強まってきている。海は、日常的に残虐な行為が行われ。巻き添え被害を起こし。法の支配が無視される、一種の戦場とも考えられるかもしれない。 (p318)